自動車輸出物語

三菱商事自動車部OBの海外活動

1962年出張時。タイバンコックとサラブリを結ぶ幹線道路をいすゞトラックが疾走する。当時は、雨期になると道路が冠水し4時間も掛った。

電子出版に当たって

記載日付:2012年10月20日
ライター:鈴木富司
番号:000-号外
タイトル:iPhoneアプリ電子出版に当たって (2012年11月出版予定 無料)


 この自動車輸出物語は2000年6月より最近までメールマガジン「まぐまぐ」に$$$「自動車輸出物語〜〜〜みんなで燃えた昔を語ろう」$$$というタイトルで発行されたものを電子書籍にしたものです。


 当初は、同じ輸出屋として外貨獲得に汗を流したひとの寄稿を期待したのですが、結局、私ひとりの「三菱商事OBの現場からの報告」になりました。


 関係した国別にまとめたわけでもなく、時系列的に並べたわけでもありません。2週間ごとにキーボードに向かった時、思い出されたトピックスについて記述したものです。


 私が古巣の三菱商事を定年退職で離れたのが1991年ですから、もう21年にもなります。三菱商事で自動車海外プロジェクトに携わったのは1960年から1987年ですから、今から52年〜25年も前のことです。いちいち資料を見返すこともなく、思い出した情景を文章にしたものです。


 三菱商事の自動車海外プロジェクトというと、商事会社は単に右から左にメーカーが作ったものを販売しただけと思うかも知れませんが、機能としては自動車会社として、開発も製造もやっておりました。戦後初めて海外で自動車工場を建てたのも三菱商事でした。タイ国におけるいすゞの工場の資金も出し、工場長も三菱商事のひとでした。私自身も、その光栄ある「日本で最初に海外進出した自動車工場」の水牛が歩く敷地の調査を行ったのです。


 その模様も自動車輸出物語に収めました。現在タイ国の巨大な自動車基地になっていることを思うと感慨深いものがあります。


 世の中は急速に変化をしてきていて、執筆を開始した時点では想像もつかないことが起きています。
その中でも、iPhoneに代表される機器やシステムの進歩には驚かされます。道具好きの私にとっては長生きをしていて良かったなというところです。


 2年前、iPhoneアプリの開発に挑戦しようと、LinkIconRainbowAppsスクールの二期生としてCオブジェクトというiPhoneアプリのプログラミングを学びました。難しくて、一時中断をしていましたが、「人生でやり残したこと」になる予感がしましたので、最近挑戦を再開しました。


 そのご縁もあり、RainbowAppsスクールを運営するLinkIconEagle社の藤永真至さんより自動車輸出物語の電子出版の話があり、この度、出版をする機会を与えられました。大好きなiPad・iPhoneを通じて、書きためた「自動車輸出物語」というメッセージを多くのひとに読んで貰えることは望外の喜びです。この物語は日本の商社マンが海外の自動車プロジェクトで活動をしたときの断片的な記録です。それぞれ違った視点でご覧になってくだい。少しでも日本を元気にすることに貢献できればと思います。


 「日本を元気にする」という合い言葉で、最近「人力ヘリの会」を立ち上げました。現時点で、だれも条件をクリアできていないシコルスキー賞に挑むグループです。私が制作したLinkIcon「人力ヘリの会」のウェッブ・サイトで詳細を説明していますので、ご覧になってください。ここにも、猛烈な技術者人生を送っている78歳の同級生、伊東孝彦君の人間模様を描きました。








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アップストアで「自動車輸出」で検索するとでてきますので、ダウンロードしてお読みください。80話ありますが、無料です。