自動車輸出物語 000-078
記載日付:2008年2月22日
ライター:鈴木富司
番号:000-078
タイトル:配属はタイ向けいすゞトラックの輸出事務
どんな生き様であったか、この世に何をしに生まれたのかという視点で
自動車輸出物語を書き直そうとしています。先ずは、配属された日の
ことから語りましょう。
社員食堂での話です。自分の座った位置は、覚えていますが、
誰がどこに座ったかまでは確かでありません。話の内容はざっと
下記のようなものだったのです。
「えっ、君は肉を食べないの」
「えー、明日からは食べますが、今日のところは食べることが
できないのです。」
「何故? 変っているねー。今まで肉を食べたことはないの。」
「えー、家庭の宗教の関係で四足二足は食べないことになって
いるのです。」
「魚は? 海外に行っても食べないの。」
「いや、今戸籍を抜く手続きをしていますから、抜けたら
食べることにします。手違いで3月中に抜ける筈だったのが
4月にずれ込んでしまったんです。」
もう、中学時代からずっと毎日のように繰り返された質問ですから、
慣れたものでしたが、流石に新入社員でしたから、冷や汗ものでした。
比較的紳士的に対応を受けたのではないかと思いますが、上司達の
対応までは覚えておりません。
「若いときから、どんな価値観も受け入れられる訓練をしてきた」って
今だから言えるのですが、一寸強烈なスタートでした。
私は、1960年4月1日に三菱商事に入社し、即日、機械第三部輸出第二課に
配属になりました。何ヶ月かは総合研修やソロバンの研修があるわけですが、
どうも会社中で一番忙しい課に配属になったようでした。
与えられた仕事は、タイ向けいすゞトラックの輸出事務でした。
それまでも輸出はしてはいたのですが、大口のバス会社などへ
納める大口商談だけだったのが、「市販」と称して一般のユーザーを対象と
するものスタートしたのです。何と、入社したその月から、毎月定期的に
船積をされるというのです。課全体が勢いづいている感じでした。
前任者が4月の20日にはロンドンに私費留学をするというので、
入社早々仕事の引継がはじまりました。50年近くも前のことですが、
日付まで鮮明に覚えています。当時の有名な駐ソ大使の息子さんで、
田舎出の私とは別世界のひとでした。他の新人は研修会に出ているのに、
私だけはもう実務で、最初から残業もしていました。
この「市販」と称する一般のユーザーを対象とする取引は、当時の商事会社に
とってはコペルニクス的に違う取引だったのです。それが始まった月に私が
入社したのは運命的だったとも考えられます。商売のやり方が全く違います。
商事会社自身がサービスセンターを設立し、部品在庫を持って一般のユーザーに
対応するわけです。トラック本体の在庫も持ち、傘下の販売店の店頭に並べるわけ
ですから、リスクも発生します。そういう商売がどういう意味を持つのか次号以下で
語りたいと思うのですが、昨年、テレビ朝日のサンデープロジェクトで、
三菱商事のタイでの自動車販売を取り上げていましたから、社会的にも意義が
あったようです。
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これからも充実をさせて行こうと思います。
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