自動車輸出物語

三菱商事自動車部OBの海外活動

1972年頃出張時の写真と思われる。スラバヤ組立工場SMM社に運び込まれるCKD部品とデリバリーを待つ、三菱ピックアップT100

自動車輸出物語の由来

2000.6 - 2008.01

2000年6月にまぐまぐのメールマガジンで、
 $$$「自動車輸出物語〜〜〜みんなで燃えた昔を語ろう」$$$
を書き始めました。最初は2週間に1度の頻度でした。
$$$は、当時国家的命題であった外貨獲得を意識し、〜〜〜は船で運ぶことをイメージしたものです。
2003年の64号頃より、月1回程度に投稿間隔が延び、
2004年頃よりは、ぐっと少なくなりました。
2007年8月には執筆コンセプトを変えて、「自分の生き様との関係に主眼を置いて、書き直す」ことにしました。それが77話です。


自動車輸出物語の内容

当初は、場を提供して同じ想いで輸出に青春をかけた全国の仲間の投稿を期待しましたが、全く応募がなかったので、鈴木富司の想い出物語のみで推移しています。長い時間が経過していますので、相当のボリュームです。
時系列ではなく、その時々の気分でテーマを選んで記述しました。中には「インドネシア自動車市場開拓初期物語」のごとく何編かのシリーズ物にしたのもあります。
対象国は、経験したタイ、インドネシア、中近東、中国が主なものですが、ペルーや米国もあります。
内容的には、三菱商事入社時よりの上司、中村敬止さん(後に常務取締役)のことを記録して置きたいということが動機でした。
発行直後の2000.7.8に中村さんが久我山病院で逝去されたのですが、執筆について病床で何度もご報告しました。意識が朦朧としていましたが、通じたと思っております。

ウェッブ・サイトについて

2000年6月にメールマガジンをスタートと同時にHPを制作し、
http://www.yk.rim.or.jp/~larszk/
のURLで掲載しました。
表を多用した単純なものでした。
その後、独自のドメインを取得し
http://www.tomiji.net/jidoosha/index.html
に移設しました。
2008年1月にBiND FOR WEBLiFE*というソフトを使用して、
このHPに変更しました。写真の掲載も始めました。但し、表や物語は以前制作したものを使用しています。

1972年頃ジャカルタ出張時写真。総販売店KTB社社屋用敷地視察中の上司、中村敬止さんと筆者。

1962年タイ出張時。バンコック郊外のいすゞ組立工場用地を調査する筆者。この三菱商事が建設した工場は、戦後の日本自動車工場海外進出第1号であった。

※画像をクリックすると拡大表示されます。

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アップストアで「自動車輸出」で検索するとでてきますので、ダウンロードしてお読みください。80話ありますが、無料です。