自動車輸出物語 000-070b
記載日付:2003年10月28日
ライター:鈴木富司
番号:000-号外
タイトル: 東洋経済の記事に載る
週間東洋経済2003年11月1日号の特集記事
「最強トヨタの危機感」の中の「常勝トヨタが恐れるいすゞ・三菱商事連合」
という記事に載りました。
昭和30年代からずっと続く商社無用論に対する究極のレポートになっています。
「東南アジアにおける販売は、華僑、もしくは三菱商事の力なくしては語れない」と外資系アナリストの語ることばを引用し、「アジアで三菱商事と提携して失敗した例を聞いたことがない。中国でも三菱商事
の力を借りたいくらいだ。」と当事者のいすゞ井田社長のことばも紹介しています。
それで三菱商事は何故強いのかと記事を進めていく中で、「東南アジアを開拓した伝説の商社マンたち」とのタイトルがついて、浅井將、中村敬止、守田義雄の3氏の名前が上がっています。私にとっては、いずれも信長や秀吉に使えた感じです。いずれ陣笠から見た武将の生き様を自動車輸出物語に書いてみたいと思います。
この記事の取材の一環として、東洋経済の佐々木紀彦記者の取材を受けました。この自動車輸出物語を検索で知り、アプローチがあったものです。
当時、自動車事業部の一員として市場開拓に心血を注いだ鈴木富司氏はこうふり返る。「タイでいすゞ車が成功した理由はいくつかあります。周囲の反対を押し切って世の流れを洞察し、タイでディーゼル車が売れると判断したこと。いすゞ車の販売権を得て商事のリスクで仕入れを行ったこと。それまでの大口ユーザー向け販売に加え、販売店を指定し、一般小売りを始めたこと。割賦販売を始めたこと」。と記事に書いて頂きました。光栄なことです。
まさに浅井將さんが信長のようなパラダイムシフトを行ってはじめたことなのです。それまでの商事会社の手法を切って捨てて号令を掛けたのです。結果を見れば騎馬戦より鉄砲隊の方が威力があるのは明白です。今では当たり前のことですが、よくぞあの環境で決断されたものと、本当の原点を雑誌で語ることができて幸せです。浅井さんと一緒にタイの組立工場の敷地を測量したことなど、40年以上昔のことに思いをはせています。
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鈴木富司
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